大地震から3日経った。テレビで見る恐ろしい光景に、
ただただ胸が苦しくなるだけだ。
増え続ける犠牲者。壊滅した町。安否不明のかたは数万人とも言われている。
・・・信じられない。言葉もでない。
青森県の八戸市も津波に襲われた。
見覚えのある風景。よく訪れた場所。
父親と連絡がとれたのは、11日の夜。
何度かけても電話はつながらない。向こうもかけていたらしい。
幸運にも一度だけ、父親からの電話がつながった。
『そっちは大丈夫か?』と。その声はかなり暗かった。
地震後、ずっと停電でとにかく寒いと言っていた。余震が多く
ずっと揺れていると言っていた。
お店はガラスが割れたり、棚が崩れたが大丈夫だとも。
結局、青森に電気が通ったのは13日。丸2日もテレビも見れなかった
ので、どういう状況か分からなかったらしい。
情報がないので絶対に六ヶ所村の原子力発電所に何かあったんだ
と町のみんなで話していたとの事。
実際、六ヶ所村は大丈夫だったが、福島の原燃が・・・
放射能漏れのこと、政府はホントのこと言わないであろう、言ったらパニックだもんな。
怖いですね。
・・・東京もかなり揺れた。妻と娘は幼稚園の遠足に行っていたので、
僕は家で息子を見ていた。
そして地震。
最初、揺れは小さく、少し収まったと思ったら大きく揺れだした。
ただ大きく揺れるまで多少の時間があったので、コタツを切って、
カバンに防寒着を持ち、息子を担いで一気に外へでた。
家の斜め前、少しだけ広いスペースへ。
そして、よろめくほど揺れる。長かった、通常の地震より長いな・・・と思った。
2階はぐちゃぐちゃになったが大きな被害はなかった。
そしてテレビに映し出された光景に唖然とした。
妻も娘と無事に帰宅。車の中にいて、すごく揺れたらしい。
とにかく無事でよかった。
事務所も商品の入ったガラス瓶などが多数割れていたが大きな
問題はなかった。
※先生は広島に出張中だった為、災害を免れました。
12日に東京に来て、今日、青森に帰りました。
もう少し東京にいればと思いましたが、心配だったのだと思います。
。。。私どもの知人と未だに連絡がとれません。
無事であることを祈ることしかできません、悲しい現実です。
どうか一人でも多くの方が助かりますように。
被災された方々、その御家族の方々に
心から御見舞い申し上げます。